ども湘南担当の高階(アルハシ)です

震災後、初めて東北の地に行って参りました。

仙台で二日間展示会を頑張ったご褒美に東北ナンバー1営業マンの大川G太郎所長に連れて行ってもらえました

仙台市内のアルシステム仙台営業所をスタートし、

先ずは最初のひろ~い春日PAで腹ごしらえならぬ、なんちゃらかんちゃらで・・・見つけましたw

ぶらり旅と言えば、ステッカー

いつ貼るの?

今でしょ!



で、

 

『頑張ろう東北!!』


からの~


 

 

 

東北魂!

 

 

準備も整い、出発進行~♪

 

最初の訪問地は石巻を通り過ぎて、南三陸町にぶらり~

 

これ、バス停なんです。

元々は消防署だった所に昨年の12月にできたとの事。

震災から2年以上経ちましたが、依然としてJR柳津駅から気仙沼駅までの間は再開の目途も立っていません。

三陸鉄道と違い、JR東北には母体が大きい為、国からの補助金がでないとの事。

「黒字の区間でもないので、再び駅ができるかどうかも・・・」と、駅員さんが寂しそうでした。

因みに、このバスは震災前に駅のあった場所の近くを通り、代替輸送をしています。

地元の人々にとっては、なくてはならないものですから。


          

 

バス停のあった志津川駅の隣には、復興市場がありました。

駐車場も広く、一見、道の駅の様にも見えましたが、見渡す限りプレハブで、

良く見ると、○○整骨院や☆☆電気、郵便局に散髪屋さんに花屋さん、洋服屋さんに本屋さん。

食事をする所以外にも普通のお店が数多く並んでいました。

どこにでもある、マーケットの様です。

地元の人たちが毎日を生きて行く為に、震災前の町を取り戻す為に頑張っている姿が復興市場から伝わってきました。

 

 

続いて、国道沿いの街並み

橋がなくなっていたり、震災前には住宅があった場所

 

 

先ほどお話した、鉄道の駅や陸橋があった所は

 

 

 

瓦礫は取り除かれていましたが、それ以外は当時のままの状態でした。

店舗や住宅も多くあったそうです。


しばらく車を走らせると、南三陸町の防災対策庁舎が見えてきました。

 

 

3階建の鉄骨だけが残っていました。

3階の屋上にまで押し寄せた津波の第1波の襲来時、庁舎内には約30人の職員がいました。

しかし、無事が確認されたのはわずか8人。。。

屋上に逃げた職員は柵やアンテナにしがみついたが、津波の力がもの凄く、ほとんど方が流されしてしまったとの事。

階段の柵に必死に摑まった方は生き残ったようです。

1階の慰霊碑には私達以外の訪問者も皆、手を合わせていました。

間もなく気仙沼市に入り、私が見たかった陸に乗り上げた船、

第18共徳丸』です。

 

津波ってどんだけ凄いねん!

改めて実感しました。

 

 

丁度、お昼の時間になったので、気仙沼の復興市場へぶらり~

こちらの市場は、両サイドと正面に2階建てのプレハブで造られ、上を見上げると

子供たちが作ったメッセージ付きの手作りの鯉のぼりが沢山泳いでいました。

 

その中で、、、お食事処“塩田”にて気仙沼名物のフカヒレではなく(お小遣い少ないので)

 

 

看板見てすぐ決めちゃいました、マグロの中落ち丼!

とにかく新鮮で中落ちのなんとも言えない旨味は堪らなかったッス。

更に、これまた店の大将が若いころ格闘技をやっていて、我らがG太郎所長の身体に興味をもちまくり・・・何度も「エエからだしとる」と繰り返し(笑)

帰りにお土産にワカメをもらい、次来てもまた食べに来いとの事。

現地の食べ物やお土産を買う事も復興の手助けになる事を教えてもらいました。

確かに、どこの店の人も「また来てね!」と笑顔で見送ってくれるのが印象的でした。

 

 

いよいよ、陸前高田市に到着。復興Tシャツを買ってはしゃいでた時から2時間半が経ち・・・

“奇跡の1本松” へ ぶらぁり~

先ずは遠くから、奇跡の1本松を眺める、G太郎氏と私。

全て流されてしまい、周り何もなかった事に正直驚きを隠せませんでしたが、

遠くからでもその存在感を感じ取る事ができました。

 

近づいての1枚。

実はこの“奇跡の1本松”はモニュメントで本物ではないです。

2011年10月の調査で海水で根が殆ど腐っており再生不可能と判断、保護を事実上断念、接木を育てるなど苗木を移す計画に

現在は一度切断して内部に防腐処理を施しつつ金属製の心棒を通すという形で保存されています。

また、この松から取り出された苗木も、スーパーウルトラ超ハイテク技術により、現在すくすくと育っており、数年後、“奇跡の1本松Jr.”のデビューする日が待ち遠しいです。


次の1枚はその“奇跡の1本松”がある付近の様子です。

この辺りは、震災前は綺麗な松林の広がる公園で、夏は海水浴場で賑わうスポットでしたが・・・

 

何もかも流されてました・・・

 

さて、

東北“ぶらり”2人旅+1も後半の帰り道へ~

町中に何か発見!?

 

 

あれれ?何か見つけましたかG太郎さん♪

 

昔懐かしいアレっすね、アレ!(これの名前何でしたっけ・・・)

 

 

子供の笑顔に戻ったG太郎氏(筋肉年齢20歳)

中身は何が入ってるのかはさておき、

国道を走っていると駅の表札はそのままな事が気になり、ちょいと駅まで、ぶらり~

元々JRの駅の場所にバス停ができてました。

 

 

むむむ、、、

この駅は!?

吾輩の苗字である、高階の『階』の字をちゃんと“はし”と読んでいるじゃあ~りませんか(笑)

「いいねぇ~」 もっと有名にならないかな、この駅♪

 

と、

電車の駅だけに、話が脱線してしまいましたが、被災地の状況に戻りまして・・・

下の写真の水のあるところは、元々は海でなく地盤沈下によってできたものです。

 

 

ホンマなーんもないッス(>0<)

 

 

そして、

最後の目的地の松島へ到着!最後のぶらり~

松島って1つの島じゃないのは皆さんご存知ですよね?

見える島、全部が松島なんです!

私は知りませんでした(笑)

そして更に耳よりな雑学を一つ。

奥の細道で有名な、かの松尾芭蕉が詠んだとされる1句

『松島や、ああ松島や、松島や』

この俳句は実は松尾芭蕉が詠んだ俳句ではないという話が有りまして、、、

そもそも俳句には季語があるはずなのに、この句には入っていないのです。

俳句で有名な松尾芭蕉が季語を入れれない訳がなく、

松尾芭蕉の松島を題材にした作品は「島々や千々に砕きて夏の海」と言う句です。

あの芭蕉でも、他に言葉がでてこないくらい素晴らしい景色だったと言う事を伝えたいのが、周り回って芭蕉が詠んだ事になったようで、

あの有名は句の作者は、江戸時代後期に相模国(神奈川県)の狂歌師・田原坊が作ったものでした。

でも、自分も芭蕉の様に旅をしたいと思う事が多々ありまして、

いっその事・・・

 

嘘ですw

 

あと私の個人的な話ですが

祝!日本三景達成!!

いや~、三か所全て見ることができると思っていなかったので本気で嬉しいです。

 

以上、東北“ぶらり”2人旅+1 仙台~陸前高田編!!終了です。

アルシステムの社員ブログが始まって以来の長いものになってしまいましたが、

最後まで読んで頂いてありがとうございました。

私自身、震災後初の東北訪問でしたが、本当に考えさせられる事が沢山ありました。

今自分にできる事を家族や仲間に教え、また伝える事。

もっともっと仕事を頑張って、また現地に行って美味しいもの沢山食べて

色んな人の話を聞いて、またそれを伝えたいと思います!


最後に、

途中の変なガチャガチャの中身ですが・・・

『伝説の指輪』

が、当たりました(笑)

新たな伝説の始まりかも? 


アルシステムは

東北の復興とG太郎の復興を応援します。


湘南担当 アルハシ でした☆